2002年10月1日昼、NHK教育テレビですばらしい光景を見た。日本の工業高校、詳しくは新居浜工業高校の男子学生有志達が、夏休みを利用して韓国の施設に車椅子の修理に出向く話である。彼らは自分達が学校で習得した技術をもって、日本の施設をまわり、車椅子の修理にあたっているが、韓国の施設ではますます予算が無いため車椅子は15年も20年も使われるが、修理してくれる人もなく、壊れたまま使われたりしていることを聞き、夏休みを利用して韓国の施設を回ることにしたのだと言う。日本人もまだ捨てたものではないと」感動するのだが、彼らには何の気負いも無く、何か人の役にたちたいという素朴な思いがあるのみと見て取れた。そして韓国のある施設で10台の車椅子を1日で修理せざるを得ない状況に陥り、35度の猛暑の中、一生懸命道具を動かして難問に立ち向かっていた。そこに、やはり何かのボランティアで作業に来ていた韓国の女子高校生達が新居浜高校生の心意気に感動して、車輪のさび落しとか、自分達でできることを手伝いだすのだが、お互いに言葉が通じない。女の子が韓国語で何か語りかけるが、男子高校生は日本語で何かぼそぼそと言ったり、うなづくだけで、もくもくと作業に励んでいる。ときどき2人して何か作業のことなどを身振りで伝達しあっている。年頃のふたりである。その間には言葉よりもずっとずっと大事なハートが通い合っていたに違いない。ここでは言葉の力さへ、色あせてみえるくらいの美しい意思疎通がなされていることを示していた。
I watched a beautiful story in TV, such that Japanese volunteer boys from technological high school who are in a home in Korea to repair wheel chairs could give their services jointly with Korean school girls who are occasionally in a home for some volunteer activities. They all can not speak the foreign language well. However, joint works are progressed very well by heart fitting cooprrative works by Japanes boys and Korean girls. There is a heartfelt conversation here without any languages.

言葉よりずっと大切なもの。  
Even the language seemed to be not brilliant here between a Japanese boy and a Korean girl who are under volunteer activities.


花咲爺の落書帳