それでは、我々が英語を勉強して、中国人と英語で意思疎通を図る場合の文化の理解との関係はどうであろう。私の論理から言えば、英語はやはりあくまで英語を母国語とする国の文化が背景で出来ているから、いくら英語で中国人と話し合っても、中国文化を理解はできても享受は出来ないと思う。それよりも、ひと言「ニーハオマ?」なんて言えるほうが、中国人は喜ぶし、中国文化に触れあう、享受する出発点となると思う。しかし英語の国際語としての重要性はここで論じるまでも無い。言葉は文化そのものだからこれで良し」なんて「マスターのうちどめ」なんてあり得ない。英語のマスターの度合いが深ければ深いほど、第三国人と話すときの、その国の文化の「理解」の度合いが根底から違ってくる。
しかし何故か日本人は外国語のマスターが下手だと言われるし、我ながらこの説には同調せざるを得ない。
Even we, not native speaker of English, use English to communicate with the persons who are not native talkers of English, we would be not unable to enjoy the cultures of these person's coutries, just able to understand to our regret.

英語を母国語としない人たちの英語による意思疎通。 
The communication by English between persons whose native language are not English.


花咲爺の落書帳