野菜や花を栽培しているとつくづく神様は偉大だと想う。卑近な言葉を使えば神は「魔法を使われる」とも言える。手のひらに乗せれば同じように見える小さな種を土に蒔き、同じように育てるだけで、あるものはかぼちゃになり、あるものは白菜になる! 畑はまるで「魔法の工場」である。人の目を「ぱちくり」楽しむ手品ができればずいぶんと楽しいだろうな、と思うが、そんな器用なことができなくても、趣味として農業をやれば自分で魔法の工場の工場長となり、魔法がかかればその成果は自分や隣人の「食」に寄与することができ、人を驚かすことができ奥は深い。自分が作った見事な?ブロッコリーを株元から切って人にあげると、皆目を「ぱちくり」どころか「大きく見開いて」びっくり仰天するのである。これは立派な魔法使いになった気分がする。株元からきるのが「こつ」である。八百屋さんで見れない形で人にあげることが大切である。大根や人参などの根菜なら葉が全部ついたまま、葉ものなら、虫が食った穴だらけの葉もつけたままである。そして、これが本当のことであるが、虫の一噛みもしていない白菜やレタスがいかに危険な食べ物であるか認識してもらうのである。
The soil field with seads is a kind of magic
factory. This is my (gardener) recent fieling.
The God is great ! The God gives us the unlimitted
blessing using similar looking seads and
soil. The similar seads are changed in different
vegitables and flowers. This is absolute
miracle. Nov. 11, 2004
●私は魔法使い
I am a magician.●
花咲爺の落書帳