たとえば自動人形だとか、複雑な装置のある時計だとか、噴水だとか、花火だとか、オルゴールだとか、びっくり箱だとか、パノラマだとか……すべてこういった非実用的な機械と玩具の合の子みたいな巧緻な品物には、なにかしら、正常に営まれるべきわたしたちの生産社会に対する、隠微な裏切りにも似た、ふしぎな欺瞞の快楽にわたしたちを誘い込むものがあるであろう。それは芸術的感動ほどオーソドックスではなく、明らかにそれとは別種のものであり、どちらかといえば、うしろめたい快楽に属すると言った方がよいかもしれない。またそれは、玩具に対する場合ほど、見る者が安心していてよいわけのものではなく、虚をつかれること、驚かされること、恐怖せしめられることを期待しつつ、いわば、精神にある種の装備をほどこすことを必要とするような種類の快楽であろう。
 一般に、芸術家は「神の真似をする猿」だということになっている。しかりとすれば、このように無益な、無気味な、しかも高度の技術を要求する精巧無比な品物の製作者には、そもそも、どんな名称を与えたらよいものか。

(澁澤龍彦「夢の宇宙誌――コスモグラフィア・ファンタスティカ」より)

四谷シモンのHPより抜粋 http://www.simon-yotsuya.net/